
営業部門の説得が最大の課題
信用リスク管理規程を用意し、運用上のルールも決めました。これで準備は整いました。
しかし、実効ある制度にするうえで最大の課題は、社内での認識の共有です。導入の意義や目的を社員全員に浸透させる努力なしには物事は進まないのです。A社の実例に即しながら、そのあたりの様子や苦労を振り返ってみましょう。
信用リスク管理導入の際、どの企業にとっても一番の難関は、営業部門の説得とされます。営業は敏感に反応します。しかも誤解、不安が先行しがちです。誤解が解けるまで抵抗勢力となるでしょう。
しかし、営業部門が本当に納得したうえできちんと運用しなければ、どんなに素晴らしい規程を作ろうとも、空文に終わってしまいます。粘り強い取り組みが欠かせないのです。
A社も例外ではありませんでした。
親会社から独立するまで親会社のお客様を取引先としていたため、社内には「信用」という言葉自体ないに等しい状態でした。
信用リスク管理の作成メンバーが説明に赴くと、いきなり営業部門から拒絶反応の出迎えを受けました。「取引の邪魔をするのか」と面と向かって嫌味を言われ、ショックで落ち込んだそうです。
でも考えてみてください。営業は、会社のために仕事をとってくるのが職責であり、また生き甲斐としている人たちです。
そういう人に「このお客様からは仕事をとらなくてもよい」というわけですから、すんなり受け入れられるはずがありません。まして自分の仕事に気概とプライドを強く抱く営業マンほど受け入れ難いことであることは容易に察しがつきます。
しかも営業にはノルマがあります。営業目標達成のために日夜汗を流しています。実績が厳しく問われる世界です。個人の評価のベースになるのも営業成績です。
どんなに懸命に営業攻勢をかけてもびくとも動かない取引先が、ふとした拍子で気持ちを動かすシーンを想像してください。営業にとってはまさに千載一遇のチャンス。一気呵成に攻め込んでクロージング(商談の最終段階で契約を確定させること。受注)に持ち込みたい瞬間です。
ところが、A社の場合、優良取引先であっても審査に1~2日、高額取引になると経営会議の承認が必要で1週間以上かかります。「信用リスク管理規程は営業の邪魔、受注の障害」との思いが営業マンの脳裏をよぎります。この間に取引先の気が変わって受注を逃すのではないか、これまでの努力が台無しになるのではないか、と気が気でない営業の心理も理解してあげる必要があります。
何度も説明会を開き、メリットを説明
こうした営業の不安は1度の説明で解消するものではありません。A社は説明会を何回も開催しました。
「優良取引先との取引を拡大する一方、危険な取引は減らし会社全体として取引の質を向上させる」という信用リスク管理の目的を、社員一人一人まで理解してもらえるところまで進めなければならないと考えたからです。
信用リスク管理に対し営業は往々にして誤解が先行します。誤解の壁を崩し「与信限度額の範囲内で取引する意味を本当にわかってもらうまでには相当な時間がかかった」そうです。
「取引したい=取引開始」ではなく、まず取引開始の申請を提出し、審査の結果、取引の可否を決め、取引可の場合は与信限度額の設定を経た上で取引開始となることを徹底して説明しました。
営業にとって決定的なリスクと認識してもらえるかどうかが分かれ目です。危ない会社と取引し倒産などに見舞われれば、会社に大きな損失をもたらすばかりでなく、ひいては営業マン自身の成績や評価にも影響が避けられません。
信用リスク管理の仕組みは、「営業への足かせ」ではなく「営業への強力な支援」、と思ってもらえるようになれば成功です。
根気づよく続けること
A社でようやく制度が根付いたと言えるまでには、導入から2年かかりました。
実は、格付けの漏れや、抜け駆け的な取引という問題もありました。A社はスタート時点で既存取引先をすべて格付けしたと社内アナウンスしましたが、実際には漏れていた企業が少なくありませんでした。お客様番号はすでに発行されていたので、売り上げや受注が自由に計上され、実際には信用リスク管理規程スルー(抜き)で取引されるケースも多くありました。
これに対し、財務担当者は毎月のチェックの中で無審査の案件を見つけると、その都度営業担当者に「申請して下さい」というお願いを繰り返したそうです。
また円滑に運用するため、営業には与信限度額の事後チェックより事前確認を促しています。
「営業に行って取引させてくださいとアプローチしておきながら、後から申し訳ありませんというのは言いづらいでしょう。訪問前にチェックしてくださいとお願いしています。
最近では営業担当者も何回も稟議を書き直したくないと、『確認してくれませんか』と事前にチェックを依頼するケースが多くなってきました」。
格付けが急降下した
昨今の世界同時不況の中では、企業信用格付が急落するケースも増えています。
こうした場合A社では、ただちに受注金額と売上債権の合計をチェックします。
合計金額が与信限度額の上限を超過していれば、受注案件自体の見直しを実施し、受注を制限します。売掛金で超過している場合は約定以内での早期回収を営業担当者に要請します。もちろん格付けが急降下した理由は自社でも調べますが、外部機関による格下げは自社では知りえない何らかの理由があるものとして原則受け入れています。
営業担当者の中には「評価の急降下は一時的なものだ」と主張する人も出てきますが、「誰が保証するのですか。絶対に大丈夫だといえますか」と問いかけるようにしています。
まだ受注までの時間がある場合には、「今は評価が難しいので、実際に受注するときに判断しましょう」と説得して、いったん受注申請を取り下げさせ大型受注が発生するときに再審査するようにしているそうです。
こうした問題が一気に出るのが、年1回の見直しの時期です。従来通りの申請が通らないケースが頻発します。
もちろん、他に替わる仕入れ先がないケースや、すでに納品した製品のメンテナンスなど取引先の変更ができないケースもあります。こうした場合は、現金取引に切り替えてもらったり、長期のサービスの場合は月払いに変更してもらうなど、支払条件の変更を要請します。
格付けの悪い企業と取り引きしなければならない
有力取引先からの紹介など、どうしても格付けの悪い企業と取り引きしなければならないケースもありえます。新規取引の場合、A社では規程で担保や保証金を条件に認めていますが、実際に発動されたことはないそうです。
また、格付けが悪い状態のまま長期に渡って取引が続いているケースもあります。同じ状態が続いているだけに、新しい取引条件に切り替えるタイミングが非常に難しくなります。
営業担当者は「いままで大丈夫だったのだから」と考えがちですが、財務担当者としては「今日大丈夫でも、明日はだめかもしれませんよ」と説得することになります。
受注済み案件はできる限り売掛金の回収を進めて与信残高を圧縮させ、新規受注は現金支払いにさせるなど取引条件の見直しによって新規与信を発生させないことが大切です。
与信残高をどこまで圧縮させればよいのか
格付けの引き下げに対応して、即座に取引停止できればリスクはゼロになりますが、必ずしも直ちに取引を停止できないケースも少なくありません。
それでは、貸し倒れの懸念が発生した場合、許容できる与信残高はどれぐらいまでと考えればいいのでしょうか?
実際に取引先が破綻してしまった場合、あわてて債権保全(焦げ付きが出ても損害を被らないよう担保や保証をとること)に走るのもたやすいことではありません。債権回収(この場合、未払い代金を支払ってもらうこと)も極めて困難になります。
少しわき道にそれますが、通常、民事再生法や会社更生法の適用申し立てと同時に、それ以前の借金返済や代金支払いは原則弁済(=返済)禁止となります。これは抜け駆け的な弁済を防止して、債権者間の公平確保と同時に会社財産の散逸を防ぐのが目的です。弁済可能な一部債権もありますが、例えば租税・給料など極めて例外的なもので、売掛金がこれらと同列に見なされることはまずあり得ません。ほぼ回収は不可能と見なさざるを得ません。
こうした場合にも、一つ自衛策があります。
「少額債権」というもので、A社はこの範囲での取引を原則としています。「小額債権」とは、小口の債権のことです。
民事再生手続きや会社更生手続きでは、小口債権まで含めると債権者数が膨れ上がって対応が煩雑となり会社再生のための円滑な手続きが妨げられかねません。そこで小額債権については申し立てで弁済が許可されるという例外扱いを認めています。債権者数を整理する目的もあり、少額債権は優先的に取り扱われる可能性があります(破産手続きや特別清算の場合は、こうした可能性はありません)。
裁判所で許可される少額債権の範囲は、破綻した企業の資産状況や優先債権の金額によっても異なりますが、概ね中小企業で10万円、中堅企業以上で100万円程度です。
これをにらんでA社では与信残高が100万円以内になるようにコントロールしています。
最後に、信用リスク管理規程の作成に携わったA社の財務担当者の思いを紹介し、この連載を終わりたいと思います。
「おカネを大切にしてほしい。貸し倒れというのは、みんなが働いたことに対する対価がもらえなくなってしまうことであり、1銭たりとも許したくない。この仕組みを使っていただくことで無駄働きとなることを防ぐことはできます。売掛金というのは自分のおカネを貸しているのと同じです。おカネを貸している場合、期限までに返してくれないときは催促するのが普通だし、返せない場合は借りた方が謝るのと同時にいつ返済するのかを連絡するのが普通です。それが売掛金になった途端に、回収が遅れてもあまり気にならないというのは不思議です」